いつだったかテレビで、孤立した人たちを支援する団体と、ひきこもり生活をしている40歳代の男性が紹介されていた。一見高齢のお年寄りかと思える風貌だった。体が悪くて背中が曲がってしまい、やせ細っておられたからだ。ひきこもりと言っても、人と関わりたくないということではない。体が悪くて外出ができず、人付き合いも無くなったということらしい。もの静かな人だった。

その男性の問題を解決するために、支援団体の訪問があった。ごみを片付けられなくて困っていたという。いわゆるゴミ屋敷のような乱雑な状態ではない。外出が困難だから食事は弁当の配達を頼んでいる。その空箱などのゴミを捨てたいのだが、持ち出せずに部屋いっぱいたまってしまったのだ。弁当の箱はきれいに洗って整理されていたので、けっこうきちんとしておられる人だ。支援団体の人たちがたくさんのゴミ袋を出して部屋は片付いた。

彼は病気で仕事ができなくなっていたので、障がい年金か何かで暮らしているのではないだろうか。だとしたらこれは、今まで受けられたはずの支援が届かなかったということだと思う。歩くのさえ大変な人なのに、住まいが古い建物の2階で、とても急な階段。一人で出入りするのはとても危険だった。
早くケースワーカーが気づいてくれていたら、1階の部屋かエレベーターがある住まいを探してもらえて引っ越せていただろうにと気の毒だった。生活介護のヘルパーだって派遣してもらえたはずだった。孤独な生活をしていると、そういう情報に触れられず、自分から助けてとも言いづらい人たちなのだろう。

彼は普通のテレビも持っておらず、携帯電話についている小さなワンセグテレビを見ていた。中古家電で安いのがあっても探しにも行けない、あるいは食事がほぼ出前の弁当なので、食費がかさんで余裕がないとかだろうか。体はつらい、生活はつらい、外出もできない、それでテレビ程度の小さな楽しみさえ限られていれば生きる気力がしぼんでいくばかりではないのか。
僕は体調が比較的良いときは長めの散歩もできるので、中古で探した格安の液晶モニターを持っている。画面が大きめでテレビ番組も見やすく満足していたが、そんな自分が贅沢に思えてしまった。日本のような恵まれた国でなかったら、僕も生活苦でとっくに死んでいたかも知れない。

孤立化させないために支援団体の協力によって、男性は障がい者の作業所へ送り迎えしてもらうことになったようだ。これからは何かと相談もしやすくなるだろう。人と触れ合う暮らしが戻り、誕生日を祝ってもらったりして嬉しそうだった。慣れないことで照れてそうだが、彼の笑顔が見れてほっとした。

2016/06/28