日本仏教文化協会発行 『現代語仏教聖典 釈尊篇』より


第一章 道を求めて


 人と生れることは難く、長生きすることも難い。仏陀の出所に出遇うことは一層困難である。
 学ばぬ人は、牛の如く老いる。肉は肥えるが、智慧は増さない。
 若いときに、修行を積まず、智慧の富を得ないならば、魚なき池の老鷺の如く、空しく滅び終わるであろう。
 怠惰で百年生きるよりも、努め精(はげ)んで一日生きる方がまさっている。
 飽食した豚の如き愚者は、幾度も迷いの生死を重ねる。 《法句抄1》



第一節 誕生

 一。ヒマラヤの山麓に、カピラ城という、釈迦族の市(まち)があった。スッドーナ王はここに都し、同族十城の盟主として、善政を布いていた。
 王は、姓をゴータマといい、その妃(きさき)マーヤーはデーバダハ城主の女(むすめ)であった。結婚後二十余年を経た或る夜、マーヤー夫人は、白象が右脇から胎内に入るを夢みて懐妊した。
 やがて産月になったので、デーバダハ城に至る道すがら、ルンビニーの花園に、しばしの憩いをとった。折しも太陽はうららかに、無憂華(あそか)の花は美しく咲き匂うていた。夫人は右手をあげて一枝を手折ろうとされたが、たちまちにして、王子(みこ)の誕生を見た。
 時に、四月八日。天地は歓びの声をあげ、甘露の雨、匂い高い花片が、この輝く王子に降りそそいだ。父王は、シッダルタ『一切の諸願が成就する』と、命名された。


 二。王城では、盛んな命名式が挙げられた。その頃、アシタという仙人がいた。ふと王城に漂う瑞相を望(み)て、山を下り、太子を拝して、
 「この王子は、聖王となって、全世界を統一するか、 或いは仏陀(ぶっだ)となって、全人類を救いたもうであろう」と。
 これを聞いて、王は、喜ばれるとともに、やがて世嗣を失うかも知れぬ、という一抹の不安を感じた。
 それから間もなく、マーヤー夫人は、病のためこの世を去り、王子は、夫人の妹なるマハーパジャーパティーによって、育てられることになった。


 三。太子は七歳の時から、国王として相応しい文武の道を学ばれたが、勝れた智慧と技とは、しばしばその師をしのぐものがあった。
 ある年の春、城外で盛んな農耕の祭典が行われた。太子は、父王に伴われ、この祭典に臨んでいたが、ふと鋤先で堀り出された小虫が、一羽の小鳥に啄(ついば)まれてゆくのを見て、心の痛みを覚えた。父王は、深くもの思いに沈む太子の姿に、『空に澄む月のような』静寂(しずけさ)を感ずるとともに、淡い憂愁(うれい)にとざされるのであった。


 四。太子の心には、早くも人生の苦悩が刻まれた。それは、若木につけられた傷のように、だんだんに成長し、太子の生活には、憂愁の日、懊悩の夜が、つづいた。
 父王は、アシタ仙人の過ぎし日の言葉をも思い、さまざまに心をくばり、今は亡き王妃の兄デーバダハ城主の女(むすめ)ヤソーダラーを迎えて、太子の妃と定められた。



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