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ブックマーク・気が向いた時の、ちょいメモ。
たまに新宗教「幸福の科学(HS)」見物メモ=非信者。

2014/10

<STAP特許>理研、手続き進める…「存在否定できぬ」

毎日新聞   10月25日(土)2時31分配信

 理化学研究所などが国際出願していたSTAP細胞に関する特許について、理研が出願を取り下げず、特許取得に必要な「国内移行」という手続きを複数の国でしたことが24日、分かった。STAP細胞作製を報告した論文2本は既に撤回され、研究が白紙に戻ったにもかかわらず特許取得手続きを継続する理由について、理研は「(STAP細胞の真偽を確かめる)検証実験は継続中で、完全に否定されたとはとらえていない」と説明した。

 出願していたのは、論文の主要著者が所属していた理研、東京女子医大、米ハーバード大関連病院の3機関。このうち東京女子医大は「得られる利益は少ないと判断した」として、国内移行手続きには加わらなかった。

続き >>  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141025-00000007-mai-soci

女の子に足をひっかけて転ばせるようなバカな自分

中学のころだったろうか、学校の校舎間にコンクリートの渡り廊下があった。
自分はそこに立っていた。そこへ同級生の女の子が通りかかった。
僕はたぶん一度も話をしたことがない子だ。
おとなしくてクラスでもあまりはしゃいだりしない地味なタイプ。

僕はとっさに片足を出した。歩いている子に足をひっかけそうに見せかけて、
実は瞬間的にまた引っ込めて驚かすだけ。
言っておくが、いじわるしたいんじゃない。
これは友達とも何度かやっていたことで、
「冗談でしたあーー」、「なーんだ、びっくりしたーー」
と笑いあって話をし、それで終わる気がしたらしい。
なんとも幼稚な発想だけど。 

ところが、その子は思いのほか急ぎ足になったため、
タイミングが悪く、みごとに僕の足に引っかかって、
けっこうな勢いで吹っ飛ぶように転んでしまった。

いや、まさか・・・! 
自分で驚きすぎて、唖然として声も出なかった。
その女の子はこちらを見もせず、
起き上がるとさっさと走って逃げていった。

あーーー、やっちまった!!
これでは、悪質ないじめじゃないか!!
コンクリートの上で痛かっただろうし、怪我をしているんじゃないのか?
それに恥ずかしかったはずだし。

あの子はどんなに悲しい気持ちだっただろう。

悪気はなかったんだ。
僕はただチャンスがあればいろんな人たちと声を交わしたいだけだったのだが、
とんでもないことになってしまった。
それから謝罪した記憶がない。どう言ったらいいのか戸惑っているうちに、
言い出せなくなってしまったような気がする。

それから数十年、この記憶が、今までもう何十回浮き上がってきたか分からない。
そのたびに心が痛んで、申し訳なくて、情けなくて、
オレの馬鹿野郎、クズ野郎と自分をののしっているが、もうどうにもならない。
あやまりたい。
くだらんことでおどかして笑いを取ろうとしたオレが馬鹿でした。
本当にごめんなさい。ちょっと話してみたかっただけなんです。
どうか幸せで暮らしていてください。

こんな程度のことではなく、僕はいろんな人に迷惑かけてきていて、
匿名ブログにも書けないひどいことしてきたのが申し分なくてならない。
だから、自分がイカレタ奴だったと分かる年齢になってからは、
時々何かしら愚行を思い出しては、
自分に対して、オレはクソ野郎だ、バカだ、きちがいだ。
と心の中でわめいてきた。

人生をやりなおしたい、なんて人がいるようだが、
僕は絶対にいやだ。おろかしい時間が増えるだけ。
転生なんてのもごめんだ。
人生は今回きりで終わってほしい。

体が痛くて死にたいと言っていたおばあちゃん

一昔まえに住んでいた地区では、となりに孫と二人で暮らしているおばあちゃんがいた。たしか80歳を超えていた。孫といっても年齢はもう30歳代の男性。人のプライバシーを特に知りたいとは思わなかったのでよく分からないが、孫のご両親は早くに亡くなっていたようだ。それで祖母と暮らしていたわけだ。

たまにこのおばちゃんと会ったときにちょっと話をしていたんだが、体が痛くて仕方ないので、もう死にたいという話を何度か聞いた。若いとき仕事中トラックにはねられて、その後遺症なのか、あちこち痛くて大変つらいのだそうだ。

まだ元気なのに、死ぬのは早すぎますよといつも僕は答えていたのだが、その後、お気持ちが分かるようになった。僕も全身の痛みで悩まされていて、段々と生きているのがつらくてならなくなったのだ。死ねば楽になるのに、我慢して生きるのはしんどいよね。

おばちゃんは睡眠中に亡くなられた。おそらく苦しむことなく意識の無いままやすらかに逝かれたようだ。その点は幸いな方だったと思う。

まだ若いころに旦那さんを亡くし、子どもを女手ひとりで育てた。自分も大怪我をして痛い目にあいながら働き、子どもは先に亡くなった。そして今度は孫たちの面倒をみた。

生前はとなりに住んでいたので、おっさんになったその孫がよくおばあちゃんを怒鳴りつけている声が聞こえていてかわいそうだった。でも近所の人に対しては愛想がいい孫だった。

その地区は区画整理の移転先として作られた狭い住宅地だった。小高い山の上だったので、年寄りは車がないとなかなか外へ出かけられない。孫は無職で軽乗用車を持っていて、よく一人で出かけていた。おばちゃんのことは、近所の人には「ぼけ防止のために、なんでも一人でやらせた方がいいんです」とか言っていた。みんなもそうかもしれないねと談笑していたが、おばちゃん、一人でさみしかったと思う。

おばちゃんはさ、友達に会いに行くのも大変で行きにくくなったって言って、寂しそうに笑っていたよ。何か楽しみがあれば、早く死にたいなんて言わなかったかもしれないな。

おばちゃんには、いつもタクシーを使えるほどゆとりはなかった。あるとき坂道を歩いて出かけていて、側溝におちて何時間か動けなかったことがあるそうだ。その間に車が何台か通ったけれど気付かれなかったと言っていたらしい。その後やっと拾われて病院へ連れて行ってもらったようだ。
孫は、気付かれなかったなんてそんなわけがない、ぼけているんだと言っていたそうだ。だから近所でもそう思われているふしがあった。でもさ、その道路は狭くて蛇行の多い急な山道だから、前方に集中して運転していたら、側溝に倒れている人を見落とす可能性はあると思うぞ、おい。
何度か話したときには、頭ははっきりした人だったし。 

おばちゃんの葬式で親戚の人たちが棺に花を入れていたとき、僕は思わず部屋に上がり、花を一輪手向けた。急に涙が出た。おばちゃん、よくがんばったねってお別れを言った。誰でもお花をあげていい時間だったが、親戚の人たちがまだ途中だったので、僕は失礼なことをしたのかもしれない。あとになって申し訳ないと思った。

おばちゃん、今はどうしている?
もう体は痛くないよね?

(これだけ書いたら、ぼくが誰なのか、分かる人にはすぐ特定できるかもね)

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