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カテゴリ:暮らしのメモ

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押入れの整理箱、同じのが並んでいて中身が分からなかったので、夏服を入れた箱に「服」って書いた。書いてから、あれ、こんな変な字じゃないな?  間違ってると思った。でもどんな字だったか思い出せない。そこまでボケたか?  ためしに考えずに洋服と二文字続けてささっと書いてみたら、またやっぱり「服」と書いていた。調べると確かにこの字だし、活字で見ているうちに、間違いない気がしてきた。手書きしたときは何だかとても変で、ありえない作り文字に見えた。どうも奇妙な感覚だった。

近頃は洋服というより、単に服と呼ぶ場合が多い気がする。「西洋の服」だったのが今は日本でも普通に着用するようになっているし。
そういえば昔ながらの着物のことが最近では「和服」と呼ばれている。これは一昔前は「呉服」と呼ばれていたものだし、売っているお店も呉服屋さんだった。着物は元々昔の中国、呉という国から伝来したということで呉服と呼ばれていたわけで、それが日本で広まった。で、いつ頃から和服と呼ばれるようになったんだろう? 何か違いがあるんだろうか? 
  

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縄文造形家・中3女子ボレロ村上氏、「縄文土器風のなにか」に物申す
https://togetter.com/li/1167486




縄文土偶のほうは好きなもんで、昔はツーリング時に出土地の展示館行ったり、ご当地陶芸家の観光土産レプリカ買って来たりした。この写真は本物かと思うほど惚れ惚れする造形だ・・・と言うか、現代の本物なんだけどさ。しびれる。
  

6万枚以上の油絵で製作されたアニメーション映画『ゴッホ~最期の手紙~』

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先日テレビの情報番組で見た『ゴッホ~最期の手紙~』という映画の簡単な紹介と、画家・古賀陽子さんのインタビュー。世界から集まった画家たち125人が、それぞれの担当で一こまずつ油絵を完成させて撮影する。そして動きのある部分だけ絵の具を削り、また書き加えては撮影するという大変な作業だった。それをつなげて映画として完成させた。

オーディションを受けた画家たちはゴッホの画風を徹底して訓練され身につけた。そのゴッホ風の油絵でストーリーが描かれるのだ。

古賀陽子さんの場合は、3ヶ月で580コマを仕上げた。それだけの数を描いても、アニメーションとなると 1分弱にしかならないという。苦労して描いても、そのシーンがカットされた画家もいるという。
今日ネットで検索してホームページを見た。


『ゴッホ~最期の手紙~』
 http://www.gogh-movie.jp/story.php

ゴッホ、最期の手紙


無気力な日々を過ごしていた青年アルマン・ルーラン(ダグラス・ブース)は、郵便配達人の父、ジョゼフ・ルーラン(クリス・オダウド)から1通の手紙を託される。それは、父の親しい友人で、1年ほど前に自殺したオランダ人画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(ロベルト・グラチーク)が弟・テオに宛てて書いたまま出し忘れていたもの。パリに住んでいるはずのテオを探し出して、手紙を届けてやってほしいという。

 アルルでは、自分の耳を切り落として精神病院へ送られた外国人の画家は評判がいいとは言えなかった。彼を知る警官によれば、ゴッホが病んでしまったのは、彼が画家たちの宿にしたいと願った“黄色い家”に友人のゴーギャンが来たことが原因だという。疎まれていた友人に対する父の思いにほだされるように、願いを聞き入れたアルマンはパリへと旅立つ。テオの消息をつかめないまま画材商のタンギー爺さん(ジョン・セッションズ)を訪ねると、そこで聞かされたのは意外な事実だった。兄フィンセントの死にうちひしがれたテオは、半年後その理由を自問しながら、後を追うように亡くなったというのだ。


62,450枚からなる動く油絵!画家・古賀陽子さんが語る『ゴッホ~最期の手紙~』制作の裏側
ポーランドのアトリエに3ヵ月篭り580枚描く「絵に対する情熱の強さがゴッホの絵の魅力」

ゴッホの死の真相を全編動く油絵で構成した映画『ゴッホ~最期の手紙~』が11月3日より公開。webDICEでは、日本人で唯一このプロジェクトに画家として参加した古賀陽子さんのインタビューを掲載する。
『ゴッホ~最期の手紙~』は、ダグラス・ブース、ヘレン・マックロリー、シアーシャ・ローナン、エイダン・ターナーといった俳優が演じた実写映像をもとに、125名の画家による62,450枚の油絵で構成されている。今回のインタビューでは、5,000人以上の応募のなかから50倍の倍率を乗り越え採用された経緯やアトリエでのエピソードを聞いた。
  

カメも人懐こくて賢いのがいる

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ペットブログで見たクサガメの「りうくん」がなつっこくて可愛いかった。
ご飯が入ったボトルが分かっていて、せっせと歩いて近づく。早く食べたいんだけど自分ではふたを開けられないので、飼い主さんのところに「あれ食べたい」と言いに行くww かしこいわあ。


ふたを開けたい りうくん



・・・別の話。昔イシガメを飼っていた人の本を読んで楽しかった。カメって思ったより賢い子たちがいて、よく世話をしてあげれば人になつくんだと知った。わずかな記憶で・・・。数年飼っていて、ある程度大きくなったイシガメ。部屋に放し飼いにしていて、そばによってくる。家の中を飼い主さんについて歩く。自分だけでも歩き回って風呂場も好きだったみたい。寒くなってきたらストーブの前に陣取っていたけど、冬篭りもちゃんとしてたと思う。あれっ、覚えているのはコレだけか? 面白かったんだけどな。

子供のころ川でクサガメ見つけて一時大き目の金属タライで飼っていた。飼い方も生態も分からず調べようともしなかったらしい。無知なままで飼って冬になり、顔や手足を出さなくなった。それで死んでしまったと思ったようで、土に埋めた。馬鹿なオレ。かわいそうなカメ。川のそばに埋めたので、もし生きていて冬眠状態だっただけならば、春に目を覚ましただろう。だけど、それまで冬篭りにたえられるほど十分に餌を上げていた自信は無い。土に埋めるまでに何日か経ってただろうし、死んでしまったんじゃないだろうか。
子供のころの自分は生き物が好きだった割には、いいかげんな奴で、あまり愛情は無かったんだと思う。犬や猫が死んだときには泣いていたけど。

妹の一人が大人になってミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)を二匹飼っていたが、しばらくして置いてけぼりにされたようだ。彼女はというと、捨てられたらしい子犬や子猫が可哀想だからと連れてくるが、自分は世話をしないで遊びまわるという自分勝手な人だった。カメもその後は残された僕たちが世話をしていた。外飼いにして殆ど遊んであげることもなかったためか、慣れなくて噛み付こうとすることがたびたびあった。小さかったから痛くはない。気性は荒いほうだと何かで読んだことはある。
それから数年して僕も出稼ぎに行ったため世話ができなくなった。聞くところによると、その後二匹は父親が川に放したそうだ。このカメは外来生物なので環境的にはイケナイことだ。何十年も前のことだし、そんな知識も無かった父である。昔の人だから、ただ放す(捨てる)のは悪いと思ったのか日本酒を御神酒として少し与えたらしい。指に酒を着けて口先にさわったということだろうか? それとも背中にかけたとか? 人間の都合で振り回される生き物も、可哀想なものだ。

テレビで知ったのだが、最近の研究で、クサガメも外来生物だということが分かったという。すごく驚いた。
  

日本のハーレー、陸王。味わい深いなあ。

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テレビで新ドラマ「陸王」というのがはじまるらしい。まさかあのバイクのことじゃないよな? と思ったらそのとおりで関係なかった。

ウィキペディア 陸王 (オートバイ)
陸王(りくおう)とは、かつて日本で製造販売されていたオートバイのブランドである。
生産された車両は主としてアメリカのハーレーダビッドソンを源流としていた。陸王の生産に携わった企業は、幾度の買収や倒産を経たため数社に跨っている。


懐かしい名前だったので、画像検索してみた。

1952年の[陸王」、2000kmしか走行していないまま
54年間眠り続けたオリジナル

だって。美しい・・・。ローソンさんの陸王。

http://www.geocities.jp/hitoritabi04/page/rikuo.html
sabitarikuo

バンパーについている赤っぽいのがウインカーだそうだ。そういえば別のバイクメーカーで何となく記憶がある。ハンドルについているウインカーが手動式で、指でパタンと外側に出して意思表示する仕組みだったような。それには電球は入っておらず、反射板だけだったと思う。


それから、
旧日本陸軍に採用された「九七式側車付自動二輪車」(陸王97式)、が1340万円で売りに出ていた。おっそろしく高額。説明では完全修復されたオリジナルと書いてある。

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半月以上前だったか、1か月になるか? DVD整理していたら2年ほど前のテレビドラマ「コウノドリ」が気になった。これはコミックが原作らしい。そういえば、もうすぐ第2シーズンが始まるのだった。それで全話また観賞してみた。
放送当時は、産科医師の別の顔が人気のピアニストだという設定が気持ち悪くて嫌だった。それでなのか、コミックの評判が良い割にはあんまり良い内容とは思えなかった。でもいつかまた見ようと思って録画を残していたのだった。
それが今回見直すと、ピアノのことはあまり気にしないように意識したのかどうか、産科・新生児科の奮闘がぐっと頭に入ってきて、なかなか素敵な番組だと思った。残しておいて良かった。

第一話には、清水富美加さんがゲスト出演している。望んでいなかった妊娠で、未受診のまま出産にいたる。自分が母親になったら、この子がかわいそうだと苦しんでいた。生まれた赤ちゃんが可愛いって言ってもらえて、「あんた可愛いってよ。良かったね」と泣き崩れる。

自分としては、どんな赤ちゃんでも、生まれてくるのは基本的に不幸なことだと思う。生まれなければ良かったという経験ばかりさせられる。幸せに暮らせる人は恵まれた一部の人だけだ。

だけど生まれてくる赤ちゃんはかわいいし精一杯保護しなくっちゃ。喜んでいる親にも「おめでとう」って思う。時間は戻らない。生まれてきたものは、一分一秒と死の世界へ進んでいく。不幸な世界に生まれてきたからこそ、か弱い子たちを尚のこと大事にしてあげなくっちゃ。


そのあとじゃんじゃん気が向いて、病児保育士のドラマ「37.5℃の涙」全話。「SPEC」全話、SP版、劇場版と全部見直した。ちょこまかと懐かしいギャグが挿入されている。これラスト近くになると、世界の終焉とか話が大きくなりすぎて違和感があったが、まあいいや。戸田・加瀬さんの主役コンビがおもしろい。特に戸田さんの表情ww

アニメ版「デスノート・リライト」も見た。実写版も見ようと思ったが、ファイルが壊れてしまっていた。Lの役だった松山ケンイチくんの演技が哀愁があって好きなんだけどな。これに戸田さんも出てた。

ほかにもビデオをいろいろ見ながら毎日をすごしていた。気が向くとこんなだ。きっかけから何日たったのだろう?  しんどいときは寝ながら見ていられるビデオはちょうど良い。もっと体調が悪化すると、そんなの見る余裕も無いからまだましだ。

  

「生きている兵隊」石川達三著 アマゾンの読者レビュー欄

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ずいぶん前から読もうと思いつつ手に取らなかった「生きている兵隊」、近頃やっと読んだ。中国で戦闘をしながら南京に入るという話。短めなので読み通しやすい小説だった。無抵抗な市民や、泣いている女性がうるさいからと、簡単に殺してしまう兵隊がいる。昔はそんなものだっただろう。

伏字版もあるとは知っていたが、それでは意味が分からないと思っていたので、全集版で読んだ。ところが今日ネットで説明を見ていると、伏字だった部分は傍線を引いて発行してあるそうだ。今になって、そりゃそうだろうなと思った。早とちりもいいところ。
読者の感想、あとで読む。

生きている兵隊 (中公文庫) 文庫 – 1999/7/1 石川 達三  (著)
アマゾン 読者レビュー  
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南京で数万人という大虐殺はあったのか、インタビューでは二面性がある。
ウィキペディア 生きてゐる兵隊

■1946年5月9日の読売新聞のインタビュー記事で石川は、「入場式におくれて正月私が南京へ着いたとき、街上は死体累々大変なものだった」と自らが見聞した虐殺現場の様子を詳細に語っており、その記事が掲載された直後の11日の国際検察局の尋問では、「南京で起こったある事件を、私の本ではそれを他の戦線で起こった事として書きました」と述べている[1]。

■一方、逝去3ヶ月前にインタビューを申し込んだ阿羅健一によると、闘病中を理由にインタビューは断られたが、「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」との返事をもらっているという[2]。


虐殺された中国の市民がどれくらいかは分からない。しかしあったことは事実。市民が川縁に集められて殺され、まとめて焼かれたりもしている。著者がそれら各地の状況をすべて見せてもらえたとも思えない。



・・・あまり読まなくなった本を読んでいたので時間かかるけど、少しは活字に慣れるみたい。いつの間にか日時が過ぎていく。それでテレビのニュースやWEB記事読む時間は無くなる。頭悪いし不器用なんだから、あれもこれもと欲張ってないで、のんびりしたほうがいいか?
  

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敷き布団を買った。六つ折で持ち運びやすく軽かったので(2kg)。何年も布団なしで暮らしてきけれど、これならいいだろうと思い切った。敷布団代わりに毛布をふたつ折りにして使っていたが、今日から少しやわらかい布団で眠れる。
一昨日値引きされているのを見て買おうと決めていた。それで出かけたところ、マンションの共同玄関前に分厚いマットレスが捨ててあるし、公園を通りかかったらそこにも大きなマットレスが捨ててあった。変な偶然が重なった。ひどいことするな。
新しく買った敷き布団は値段なりの品であまり厚みは無いけど、自分には贅沢は無用。大きいのは邪魔だし、これで良い。ぺったんこになっても毛布よりましだろう。残りの一生使えるんじゃないかな。何年も前はもらった布団セットを使っていたけれど、自分にはもったいないと思って越冬用倉庫に寄付してある。あれは分厚かったから、コンクリートの上でも大丈夫だろう。元気に頑張って野宿者の人たちを守ってくれてれば良いな。ありがとうよ。
  

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今日もちょっと自己嫌悪している。うー。
スーパーへ行ったら、先日すれ違った女性らしき人たちを見かけた。ベビーカーを押していた母子たち3人だ。赤ちゃんは思ったより大きめで健康そう。おとなしくしている。お母さんとお祖母ちゃんとで笑顔で買いものをしていた。
顔はちらっと見ただけで覚えていなかったのだが、雰囲気から、たぶんあの人たちじゃないかなと意識したのがまずかった。数秒間彼女らをじっと見てしまったのだ。そのときちょうど若いママさんと目が合ってしまい、向こうはさっと目をそらした。変なオッサンが見ていると思って、気分を害されただろう。きっとそうだ。その家族がほほえましかったので、今日も僕はちょっとニコニコ顔になっていたのだ。あちらから見たら非常に怪しい、気持ち悪い奴である。帰り道、「おれは馬鹿だ、屑だ。いちいち女性の顔を見るな、人の顔を見るんじゃない・・・」と自己嫌悪しながら歩いた。

町で犬や猫を見かけたらかわいいから遠慮なく見たくなる。鳩の群れの中を、その顔を見合いながら笑顔になってそっと歩く。子どもたちや若い女性もかわいいから目が行きがちになる。この前は道端にすわって猫を帽子で扇いであげている子がいて素敵だった。自分はもういい年齢なので、女性を見たら不快に思われると心得ていて、普段はできるだけ意識して顔を見ないようにしている。だけど赤ちゃんや子どもを連れていたら、ついチラチラと見てしまっているんだなあ。
母子連れが多くて父子連れは少ない。どちらの親子もほほえましい。泣いている子どもを叱りながらもだっこしてあげる、そんな姿も良い。お祖父ちゃんが孫を連れていたら、ちょっとだけうらやましい。だからやっぱり、相手に気づかれ無いなら見てみたいというのが正直な気持ちだな。それは悪気は無いんだけど失礼だから、もっと気をつけよう。ちらっと見るくらいなら許して欲しい。ほかの人だって僕を見ることはあるんだから。ああ、僕はやっぱりお婆ちゃんになれたら良いかもなあ。

自分が生まれた家庭は嫌いな方だった。ほとんど思い出もない。自分自身の家庭なんか気持ち悪くて作りたくない。一人暮らしを続けたい。だけど平和に暮らしているよその家庭はほほえましい。家族の無い子、辛い家庭の子には、ほんのちょっとの応援をしてあげたいと思う。底辺の僕たちにできることはその程度で精一杯だろう。
  

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「『障がい』と書くことを押し付ける人たち ある男性の『言葉』にハッとする」というWEB記事があった。ちっともハッとしなかったし、我々は長年「障害」という文字を押し付けられてきたのに、何を一方的なことを言うんだろうと思った。

日本では昔から「障害者」と書かれそう呼ばれてきた言葉が、もう何年も前から一部で「障がい者」と平仮名で書く風潮が現われている。

「障害物」は障害になる物、邪魔な物。その文脈で見れば、「障害者」とは障害になる者、邪魔な者である。よく言われているような「障害を持った者」では無い。もしそうであるならば「被障害者」とでも呼べる言葉だろう。障害という文字を使わないのは、人がまるで障害物のように、邪魔者のように表現されるのが嫌だということだ。実際に障害者は邪魔だ不快だ消えてくれ、死んでくれという者が日本にたくさんいる。それが障害者施設殺傷事件のあとにも浮き上がってきた。

前に文字を仮名表記にしても同じことだという人もいたが、ぜんぜん違う。だって平仮名の「障がい」とは「障害」ではなくて「障碍」のことだからだ。本来はこの文字であったという。当用漢字ではないとか、漢字では読めない人が多いから平仮名にされているそうだ。碍は妨げるという意味だとか。いくらか似ているとしても、まるで障害物のように表現されるよりはましだ。

私は自分がどう書かれようとあまり気にして来なかったが、他人を思いやる気持ちで「害」という文字を使いたくない人がいるのは当然理解できる。絶対にそう書くべきだとは言わないが、その程度の思いやりを押し付けだと言うのであれば、元々障害者という言葉が押し付けである。我々はずっと押し付けられてきた、障害物や害虫のような、人に害する者であるかのような言葉を。「めくら」とか「かたわ」という言葉が今では差別語だというのであれば、「障碍(がい)者」と書くよう気を使っている人に対して、殊更に反感を持つ筋合いは無いだろう。

ある当事者がそんな言葉尻はどうでも良いと、「『障害』か『障がい』かなどということに時間を使うぐらいなら、障がい者本人のためになる支援の仕方や、公平な接しかたについて考えてもらいたい。」と書いていた。前述のWEB記事では、それにハッとさせられたというのだ。だが、その方がよっぽどおかしいことだと思った。

そもそも人がみな差別無く公平に生きられるようにという意識を持つ人たちが様々な活動をしながら、考え方のひとつとして「障碍(がい)」という言葉を選んだ。そんな言葉使いだけに時間を使っているのではなく、人々が歴史上数多くの支援活動をしてきた中のほんの一滴である。たかが一瞬である。それだけを拾って、そんな時間があればほかに考えることがあるだろうと言うのは本末転倒なのだ。悪気が無いのは分かっているが、それこそ言葉尻だけにとらわれている意見だろう。

  

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