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カテゴリ:暮らしのメモ

カメも人懐こくて賢いのがいる

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ペットブログで見たクサガメの「りうくん」がなつっこくて可愛いかった。
ご飯が入ったボトルが分かっていて、せっせと歩いて近づく。早く食べたいんだけど自分ではふたを開けられないので、飼い主さんのところに「あれ食べたい」と言いに行くww かしこいわあ。


ふたを開けたい りうくん



・・・別の話。昔イシガメを飼っていた人の本を読んで楽しかった。カメって思ったより賢い子たちがいて、よく世話をしてあげれば人になつくんだと知った。わずかな記憶で・・・。数年飼っていて、ある程度大きくなったイシガメ。部屋に放し飼いにしていて、そばによってくる。家の中を飼い主さんについて歩く。自分だけでも歩き回って風呂場も好きだったみたい。寒くなってきたらストーブの前に陣取っていたけど、冬篭りもちゃんとしてたと思う。あれっ、覚えているのはコレだけか? 面白かったんだけどな。

子供のころ川でクサガメ見つけて一時大き目の金属タライで飼っていた。飼い方も生態も分からず調べようともしなかったらしい。無知なままで飼って冬になり、顔や手足を出さなくなった。それで死んでしまったと思ったようで、土に埋めた。馬鹿なオレ。かわいそうなカメ。川のそばに埋めたので、もし生きていて冬眠状態だっただけならば、春に目を覚ましただろう。だけど、それまで冬篭りにたえられるほど十分に餌を上げていた自信は無い。土に埋めるまでに何日か経ってただろうし、死んでしまったんじゃないだろうか。
子供のころの自分は生き物が好きだった割には、いいかげんな奴で、あまり愛情は無かったんだと思う。犬や猫が死んだときには泣いていたけど。

妹の一人がミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)を二匹飼っていたが、しばらくして置いてけぼりにされたようだ。彼女はというと、捨てられたらしい子犬や子猫が可哀想だからと連れてくるが、自分は世話をしないで遊びまわるという自分勝手な人だった。カメもその後は残された僕たちが世話をしていた。外飼いにして殆ど遊んであげることもなかったためか、慣れなくて噛み付こうとすることがたびたびあった。小さかったから痛くはない。気性は荒いほうだと何かで読んだことはある。
それから数年して出稼ぎに行ったため世話ができなくなった。聞くところによると、その後二匹は父親が川に放したそうだ。このカメは外来生物なので環境的にはイケナイことだ。何十年も前のことだし、そんな知識も無かった父である。昔の人だから、ただ放す(捨てる)のは悪いと思ったのか日本酒を御神酒として少し与えたらしい。指に酒を着けて口先にさわったということだろうか? それとも背中にかけたとか? 人間の都合で振り回される生き物も、可哀想なものだ。

テレビで知ったのだが、最近の研究で、クサガメも外来生物だということが分かったという。すごく驚いた。
  

日本のハーレー、陸王。味わい深いなあ。

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テレビで新ドラマ「陸王」というのがはじまるらしい。まさかあのバイクのことじゃないよな? と思ったらそのとおりで関係なかった。

ウィキペディア 陸王 (オートバイ)
陸王(りくおう)とは、かつて日本で製造販売されていたオートバイのブランドである。
生産された車両は主としてアメリカのハーレーダビッドソンを源流としていた。陸王の生産に携わった企業は、幾度の買収や倒産を経たため数社に跨っている。


懐かしい名前だったので、画像検索してみた。

1952年の[陸王」、2000kmしか走行していないまま
54年間眠り続けたオリジナル

だって。美しい・・・。ローソンさんの陸王。

http://www.geocities.jp/hitoritabi04/page/rikuo.html
sabitarikuo

バンパーについている赤っぽいのがウインカーだそうだ。そういえば別のバイクメーカーで何となく記憶がある。ハンドルについているウインカーが手動式で、指でパタンと外側に出して意思表示する仕組みだったような。それには電球は入っておらず、反射板だけだったと思う。


それから、
旧日本陸軍に採用された「九七式側車付自動二輪車」(陸王97式)、が1340万円で売りに出ていた。おっそろしく高額。説明では完全修復されたオリジナルと書いてある。

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半月以上前だったか、1か月になるか? DVD整理していたら2年ほど前のテレビドラマ「コウノドリ」が気になった。これはコミックが原作らしい。そういえば、もうすぐ第2シーズンが始まるのだった。それで全話また観賞してみた。
放送当時は、産科医師の別の顔が人気のピアニストだという設定が気持ち悪くて嫌だった。それでなのか、コミックの評判が良い割にはあんまり良い内容とは思えなかった。でもいつかまた見ようと思って録画を残していたのだった。
それが今回見直すと、ピアノのことはあまり気にしないように意識したのかどうか、産科・新生児科の奮闘がぐっと頭に入ってきて、なかなか素敵な番組だと思った。残しておいて良かった。

第一話には、清水富美加さんがゲスト出演している。望んでいなかった妊娠で、未受診のまま出産にいたる。自分が母親になったら、この子がかわいそうだと苦しんでいた。生まれた赤ちゃんが可愛いって言ってもらえて、「あんた可愛いってよ。良かったね」と泣き崩れる。

自分としては、どんな赤ちゃんでも、生まれてくるのは基本的に不幸なことだと思う。生まれなければ良かったという経験ばかりさせられる。幸せに暮らせる人は恵まれた一部の人だけだ。

だけど生まれてくる赤ちゃんはかわいいし精一杯保護しなくっちゃ。喜んでいる親にも「おめでとう」って思う。時間は戻らない。生まれてきたものは、一分一秒と死の世界へ進んでいく。不幸な世界に生まれてきたからこそ、か弱い子たちを尚のこと大事にしてあげなくっちゃ。


そのあとじゃんじゃん気が向いて、病児保育士のドラマ「37.5℃の涙」全話。「SPEC」全話、SP版、劇場版と全部見直した。ちょこまかと懐かしいギャグが挿入されている。これラスト近くになると、世界の終焉とか話が大きくなりすぎて違和感があったが、まあいいや。戸田・加瀬さんの主役コンビがおもしろい。特に戸田さんの表情ww

アニメ版「デスノート・リライト」も見た。実写版も見ようと思ったが、ファイルが壊れてしまっていた。Lの役だった松山ケンイチくんの演技が哀愁があって好きなんだけどな。これに戸田さんも出てた。

ほかにもビデオをいろいろ見ながら毎日をすごしていた。気が向くとこんなだ。きっかけから何日たったのだろう?  しんどいときは寝ながら見ていられるビデオはちょうど良い。もっと体調が悪化すると、そんなの見る余裕も無いからまだましだ。

  

「生きている兵隊」石川達三著 アマゾンの読者レビュー欄

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ずいぶん前から読もうと思いつつ手に取らなかった「生きている兵隊」、近頃やっと読んだ。中国で戦闘をしながら南京に入るという話。短めなので読み通しやすい小説だった。無抵抗な市民や、泣いている女性がうるさいからと、簡単に殺してしまう兵隊がいる。昔はそんなものだっただろう。

伏字版もあるとは知っていたが、それでは意味が分からないと思っていたので、全集版で読んだ。ところが今日ネットで説明を見ていると、伏字だった部分は傍線を引いて発行してあるそうだ。今になって、そりゃそうだろうなと思った。早とちりもいいところ。
読者の感想、あとで読む。

生きている兵隊 (中公文庫) 文庫 – 1999/7/1 石川 達三  (著)
アマゾン 読者レビュー  
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南京で数万人という大虐殺はあったのか、インタビューでは二面性がある。
ウィキペディア 生きてゐる兵隊

■1946年5月9日の読売新聞のインタビュー記事で石川は、「入場式におくれて正月私が南京へ着いたとき、街上は死体累々大変なものだった」と自らが見聞した虐殺現場の様子を詳細に語っており、その記事が掲載された直後の11日の国際検察局の尋問では、「南京で起こったある事件を、私の本ではそれを他の戦線で起こった事として書きました」と述べている[1]。

■一方、逝去3ヶ月前にインタビューを申し込んだ阿羅健一によると、闘病中を理由にインタビューは断られたが、「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」との返事をもらっているという[2]。


虐殺された中国の市民がどれくらいかは分からない。しかしあったことは事実。市民が川縁に集められて殺され、まとめて焼かれたりもしている。著者がそれら各地の状況をすべて見せてもらえたとも思えない。



・・・あまり読まなくなった本を読んでいたので時間かかるけど、少しは活字に慣れるみたい。いつの間にか日時が過ぎていく。それでテレビのニュースやWEB記事読む時間は無くなる。頭悪いし不器用なんだから、あれもこれもと欲張ってないで、のんびりしたほうがいいか?
  

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敷き布団を買った。六つ折で持ち運びやすく軽かったので(2kg)。何年も布団なしで暮らしてきけれど、これならいいだろうと思い切った。敷布団代わりに毛布をふたつ折りにして使っていたが、今日から少しやわらかい布団で眠れる。
一昨日値引きされているのを見て買おうと決めていた。それで出かけたところ、マンションの共同玄関前に分厚いマットレスが捨ててあるし、公園を通りかかったらそこにも大きなマットレスが捨ててあった。変な偶然が重なった。ひどいことするな。
新しく買った敷き布団は値段なりの品であまり厚みは無いけど、自分には贅沢は無用。大きいのは邪魔だし、これで良い。ぺったんこになっても毛布よりましだろう。残りの一生使えるんじゃないかな。何年も前はもらった布団セットを使っていたけれど、自分にはもったいないと思って越冬用倉庫に寄付してある。あれは分厚かったから、コンクリートの上でも大丈夫だろう。元気に頑張って野宿者の人たちを守ってくれてれば良いな。ありがとうよ。
  

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今日もちょっと自己嫌悪している。うー。
スーパーへ行ったら、先日すれ違った女性らしき人たちを見かけた。ベビーカーを押していた母子たち3人だ。赤ちゃんは思ったより大きめで健康そう。おとなしくしている。お母さんとお祖母ちゃんとで笑顔で買いものをしていた。
顔はちらっと見ただけで覚えていなかったのだが、雰囲気から、たぶんあの人たちじゃないかなと意識したのがまずかった。数秒間彼女らをじっと見てしまったのだ。そのときちょうど若いママさんと目が合ってしまい、向こうはさっと目をそらした。変なオッサンが見ていると思って、気分を害されただろう。きっとそうだ。その家族がほほえましかったので、今日も僕はちょっとニコニコ顔になっていたのだ。あちらから見たら非常に怪しい、気持ち悪い奴である。帰り道、「おれは馬鹿だ、屑だ。いちいち女性の顔を見るな、人の顔を見るんじゃない・・・」と自己嫌悪しながら歩いた。

町で犬や猫を見かけたらかわいいから遠慮なく見たくなる。鳩の群れの中を、その顔を見合いながら笑顔になってそっと歩く。子どもたちや若い女性もかわいいから目が行きがちになる。この前は道端にすわって猫を帽子で扇いであげている子がいて素敵だった。自分はもういい年齢なので、女性を見たら不快に思われると心得ていて、普段はできるだけ意識して顔を見ないようにしている。だけど赤ちゃんや子どもを連れていたら、ついチラチラと見てしまっているんだなあ。
母子連れが多くて父子連れは少ない。どちらの親子もほほえましい。泣いている子どもを叱りながらもだっこしてあげる、そんな姿も良い。お祖父ちゃんが孫を連れていたら、ちょっとだけうらやましい。だからやっぱり、相手に気づかれ無いなら見てみたいというのが正直な気持ちだな。それは悪気は無いんだけど失礼だから、もっと気をつけよう。ちらっと見るくらいなら許して欲しい。ほかの人だって僕を見ることはあるんだから。ああ、僕はやっぱりお婆ちゃんになれたら良いかもなあ。

自分が生まれた家庭は嫌いな方だった。ほとんど思い出もない。自分自身の家庭なんか気持ち悪くて作りたくない。一人暮らしを続けたい。だけど平和に暮らしているよその家庭はほほえましい。家族の無い子、辛い家庭の子には、ほんのちょっとの応援をしてあげたいと思う。底辺の僕たちにできることはその程度で精一杯だろう。
  

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「『障がい』と書くことを押し付ける人たち ある男性の『言葉』にハッとする」というWEB記事があった。ちっともハッとしなかったし、我々は長年「障害」という文字を押し付けられてきたのに、何を一方的なことを言うんだろうと思った。

日本では昔から「障害者」と書かれそう呼ばれてきた言葉が、もう何年も前から一部で「障がい者」と平仮名で書く風潮が現われている。

「障害物」は障害になる物、邪魔な物。その文脈で見れば、「障害者」とは障害になる者、邪魔な者である。よく言われているような「障害を持った者」では無い。もしそうであるならば「被障害者」とでも呼べる言葉だろう。障害という文字を使わないのは、人がまるで障害物のように、邪魔者のように表現されるのが嫌だということだ。実際に障害者は邪魔だ不快だ消えてくれ、死んでくれという者が日本にたくさんいる。それが障害者施設殺傷事件のあとにも浮き上がってきた。

前に文字を仮名表記にしても同じことだという人もいたが、ぜんぜん違う。だって平仮名の「障がい」とは「障害」ではなくて「障碍」のことだからだ。本来はこの文字であったという。当用漢字ではないとか、漢字では読めない人が多いから平仮名にされているそうだ。碍は妨げるという意味だとか。いくらか似ているとしても、まるで障害物のように表現されるよりはましだ。

私は自分がどう書かれようとあまり気にして来なかったが、他人を思いやる気持ちで「害」という文字を使いたくない人がいるのは当然理解できる。絶対にそう書くべきだとは言わないが、その程度の思いやりを押し付けだと言うのであれば、元々障害者という言葉が押し付けである。我々はずっと押し付けられてきた、障害物や害虫のような、人に害する者であるかのような言葉を。「めくら」とか「かたわ」という言葉が今では差別語だというのであれば、「障碍(がい)者」と書くよう気を使っている人に対して、殊更に反感を持つ筋合いは無いだろう。

ある当事者がそんな言葉尻はどうでも良いと、「『障害』か『障がい』かなどということに時間を使うぐらいなら、障がい者本人のためになる支援の仕方や、公平な接しかたについて考えてもらいたい。」と書いていた。前述のWEB記事では、それにハッとさせられたというのだ。だが、その方がよっぽどおかしいことだと思った。

そもそも人がみな差別無く公平に生きられるようにという意識を持つ人たちが様々な活動をしながら、考え方のひとつとして「障碍(がい)」という言葉を選んだ。そんな言葉使いだけに時間を使っているのではなく、人々が歴史上数多くの支援活動をしてきた中のほんの一滴である。たかが一瞬である。それだけを拾って、そんな時間があればほかに考えることがあるだろうと言うのは本末転倒なのだ。悪気が無いのは分かっているが、それこそ言葉尻だけにとらわれている意見だろう。

  

赤ちゃん泣いてもいいよ 育児応援ステッカー

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数日前に住宅街を歩いていて、女性たち三人組とすれ違った。半年過ぎたくらいの赤ちゃんをベビーカーに乗せて押しているのがお祖母ちゃんらしい。その横に若いママ。赤ちゃんは大きな声で泣いていて、もうすぐ着くからね、とあやしてもらっていた。
赤ちゃんは具合の悪いときじゃなくても、ちょっとした変化で泣いたり笑ったりしていて、慣れたお母さんたちはだいたい分かってくるだろう。そのときの僕は、この赤ちゃん元気いっぱい泣いているなと思って、ほほえましくなり、ついニコニコしてしまった。もう少しだってよ赤ちゃん、がんばれがんばれって思った。体調が悪くて泣いているのではないようだから、その泣き声だってかわいいのだ。

だけどすれ違って数歩離れたとき、おばあちゃんの「笑いすぎやろ」という声が聞こえた。僕がつい笑ってしまったのが、馬鹿にされていると思われたんだろうか、とちょっと気になった。自分とは関係ない話をしていたのかもしれないけれど。そんなつもりではないから。泣いてもいいんだよ、赤ちゃん。


泣いてもいいよ
東京新聞 2017年8月1日

赤ちゃん泣いてもいいよ 育児応援ステッカーに共感

www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017080102... 

  

文庫本買って、持ち物を整理しなきゃと思った。関係ないけど。

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先日の隙間時間、ひさしぶりに書店に立ち寄った。集英社文庫のフェアで中村文則著『教団X』が棚にズラリと並べてあった。単行本が話題になっていたのは知っている。そのころは小説を買ってまで読む気は無かった。でも今回は目の前にたくさん並んでいるのを見て、つい手を出してしまった。ほぼ衝動買いだ。帯には「各メディアで話題沸騰の大ベストセラー、待望の文庫化!」と書いてあった。600ページもある。カルト教団の話だというし、いくらか関心はある。参考文献もたくさん記してあって学術的な話も入っているように見えた。
でも・・・自分にとっては、やはり買ってまで読むような内容ではなかった。大ベストセラーというからには人気はあるのだろうが。


  

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