むかし読んだ『維摩経』の印象を少しだけ覚えている。
この大乗経典では、前提として優れた知恵を持つ仏弟子、「文殊」の存在がある。実際には経典に登場するような文殊は釈迦の弟子としては存在しなかった。当時の新宗教だった大乗派閥側が、正統仏教たる部派教団に対抗するためのカリスマとしてつくり上げたようだ。部派側で尊ぶ実在した釈迦弟子(阿羅漢)より優れた人物として、大乗派閥にはスターが必要だったのだ。

さらに維摩経で創作が拡大する。出家者の中でいちばん優れた智慧のひと文殊でさえ、在家信徒である維摩詰との議論にはかなわなかったという話が作られた。教理が色々と盛り込まれ、維摩の思想が正しいかのような進行となっていく。こうして在家でも出家に勝る、超えられるということになった。そうなると、仏道成就のために財産や家族を捨てて出家しないでも良いことになる。在家中心主義と言っても良さそうな風潮が現れてきたのではないだろうか。

この程度の印象しか無い。特に釈迦があまり意識してなかった「空」に関する思想が盛り込まれていた気がするがもう分からない。いつかまた抄訳くらいは読むつもりなので、気に留めてみよう。